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柴田飴本舗についてAbout Shibataamehonpo

一粒の満足をおとどけする…
柴田飴本舗のご紹介
“おかげさまで創業90周年”

岐阜のしずかな下町で、
ひっそりと手づくりの飴をつくりつづける小さな飴工場。
昭和6年(1931年)の創業いらい93年、
手づくり飴一筋をずっと守りつづけた職人の町工場。
昔どこかにあった、
街の風景に溶けこんだような小さな飴屋さん。
それが私たち柴田飴本舗です。
当店は、ほとんどの飴工場が大量生産に変わっていく中
その道を選ばず、昔ながらの製法と素材を活かすことにこだわり、
本物の美味しい飴づくりに挑戦し続けてきました。
そのノウハウはたくさんのお客様の
「こんな飴が出来たらな〜」
というささやかな夢づくりにもお役立ちいただいています。

たった一粒の飴玉からでも笑顔になっていただきたい。
お客様に満足をおとどけできるよう
感謝と思いを込めて
今日もコツコツとつくり続けています。

歴史

旧工場

当店は昭和6年(1931年)「柴田製菓所」の名で名古屋にて産声を上げました。日本が戦争に突入する中、都会は危ないと岐阜に転居して営業を再開しましたが、岐阜の空襲で工場が消失。その後現在の場所に工場を再建し今日に至っています。

2代目19歳

白シャツに前掛け、足元は草履、髪は整髪料できっちり。当時の飴屋さんのスタイルが少しわかる貴重な一枚です。寄りかかっているのはかつての運搬自転車。当時は後ろの荷台に商品が入った半缶(一斗缶の半分のサイズ)の5段積みを2列に並べて配達していました。

はっぴ

現在では製造現場に白衣は必需品となっていますが、当時ははっぴに前掛けがユニホームでした。いろんな企業さんでも粋なデザインを競い合っていたようです。

前掛け

はっぴの下は前掛けを着用していました。お客様におくばりするお歳暮や粗品としても利用したためたくさんの種類をつくっていたようですが現存するのは一つだけとなってしまいました。

名古屋時代のレッテル

創業当時名古屋時代の貴重なレッテルが今も残っています。瑞穂区鶴舞あたりで開業したため電話番号には「瑞穂」と書かれています。文字も右から左への表記となっています。

手書きのデザイン画

当時の貴重なデザイン画です。今ではレッテルのデザインをする際にはほとんどがパソコンで行います。とても精巧に描かれているため写真ではわかりづらいのですが、昔は一デザインごと手書きでつくっていました。

はんこ

段ボールがまだ普及していなかった当時は、商品を納める際に一斗缶や半缶などを使用して商品を納めていました。紙のレッテルに商品名のはんこを押して缶に糊付けして納品します。当時のネーミングが歴史を感じさせます。

賞状

長い年月の間にいくつもの賞を受賞し、新聞やテレビでもたびたび話題となりました。

製造屋のこだわり

有平糖

高級な飴とされる有平糖。水飴よりも砂糖の比率が高い有平糖の配合割合はメーカーごとに様々です。当店では種類によっておおよそ「砂糖7:水飴3」の比率から「砂糖8.5:1.5水飴」まで使い分けています。特殊なものでは「砂糖10:水飴0」も可能な技術があります。

砂糖菓子

有平糖の技術を応用して黒糖100%でつくった砂糖菓子。水飴を使わず黒糖だけでつくることにより、コリコリとした独特な食感が生まれます。100%だからこそだせるコクはただの黒飴とは断然の違いがあります。(特注品につき販売はしておりません)

食品添加物・無添加

当店では“食品添加物を一切加えない”ことをポリシーとした商品づくりにも取り組んでいます。素材本来の風味を活かしたやさしい味わいをお届けします。

千歳飴

今もなお手で延ばし、転がし、包丁で切り、一本一本手巻きで飴を包んでいく千歳飴です。乳成分を一切使用しない千歳飴も大変喜んでいただいています。

使い分ける砂糖と水飴

お客様からの様々なご希望に対処できるよう、12種類の砂糖、6種類の水飴、4種類の蜂蜜を常備し使い分けています。材料の特性を熟知した配合で、きめ細やかな味のバリエーションを生み出します。

素材にあった繊細な温度調整

飴の仕上げ方や使用する材料によって、飴の煮詰め温度を微妙に変えています。組飴は低めに、有平糖はカリッと高く、ノンシュガーはさらに高温で。最終的な温度確認は指と口で行う昔からのスタイルを今も続けています。

今も続く昔からの製法

ザラがけ

飴に糖蜜をかけて砂糖をまぶします。小さな粒の「小ザラ」と大きなザラメの「大ザラ」を使い分けます。

手延べ

手の中でおおよその太さをととのえて延ばしていく「手延べ製法」

ロール抜き

真鍮製のロールに彫り込まれた様々な型からつくり出される「ロール抜き製法」

カップ型成型機

数珠状に成型されてでてくる形は四角や菱形。他の道具と組み合わせれば三角や丸型にも応用がききます。

引き飴(棒引き)

飴を素早く延ばすことを繰り返し、空気を含ませ白くする「引き飴」。少量の時は棒を使って引きます。

引き飴(機械引き)

10kgの飴は「引き飴機」で引きます。

引き飴(手引き)

適量であれば手で引きます。

今も現役で使用される道具たち

ハサミ

二代目が修行から帰り、当店に入った時から70年使い続けた「飴切りばさみ」。
今でも三代目が受け継いで使用しています。

包丁

今ではほんの脇役となってしまった包丁。初代哲夫が日本刀からつくった自作の包丁は研ぎすぎて逆に湾曲してしまっています。

手回しの機械

三代目がまだ小さいころ昔話程度に祖父哲夫から聞いた話では、金属が必要とされた終戦間際に強制的に没収されてしまった金型がたくさんあったそうです。それでもすぐに終戦をむかえると、集積地には没収された機械や道具がそのまま残っていたのだそうです。哲夫は小躍りして家からリヤカーを持ってきて乗るだけ乗せて取り戻してきたのだそうです。冗談好きな哲夫は笑顔いっぱいにそんな話をしてくれました。その時聞いた機械の一つがこの「ヨボシ(エボシ)成型機」でした。今となっては話の信憑性はわかりませんが、今でもこれを使うときにそんな話を思い出します。

球断機

少し大きめの飴玉をつくるときはこの「球断機」を使います。棒状にした柔らかい飴を上から挟んで前後に動かすと機械がこすれるガリガリという音とともに飴玉が転がり出てくる仕組みです。

沿革

1931 初代哲夫名古屋市鶴舞にて「柴田製菓所」創業(昭和6年)
1957 受賞 「第14回全菓博 金賞牌」
1964 受賞 「第16回全菓博 名誉副総裁賞」
1968 受賞 「第17回全菓博 大臣賞」
1972 受賞 「第18回全菓博 全菓博大賞」
1975 受賞 「第2回岐阜県菓子展示品評会 名誉菊花賞」
1977 受賞 「第19回全菓博 菓子産業大賞」
1997 柴田飴本舗に改名
受賞 「第23回全菓博 内閣総理大臣賞」信長有平糖
2002 受賞 「第24回全菓博 技術優秀賞」たもぎ茸の飴
2005 工場増築
2013 受賞 「第26回全菓博 技術優秀賞」大根生姜飴
2017 受賞 「第27回全菓博 功労賞」菩提樹レモン飴